社会

2013年1月22日 (火)

深く考え根っ子を変えなければ=教委への疑問

大阪市の高校のバスケットボール部で顧問から体罰を受けて翌日高校生が自殺した事件。橋下市長は入試の中止と根本的な改革を迫っていた。
一方で教育委員会・同校は反発していたが、おざなりの謝罪を繰り返すばかり。この間、マスコミ、特にテレビではタレントが受験生が可哀想と一斉に報道していた。教委は世論が橋下バッシングに動くことを期待したとしかうけとれない。
この問題に限らず、事件の本質まで深く考え、なぜなぜなぜを繰り返し解決策を迅速に実行することが必要だ。教委・関係者の真摯な取り組みが感じられない。この種の事件が起こるたびに教育関係者のおざなりの対策しか見られず、今まで時間ばかり過ぎてきた。残念ながら彼らの既得権の維持しか感じられない。戦後の制度疲労の一つ。民間ではこのような場合、関連する組織は廃止するのは常識だ。教育委員会に自己改革能力は既に無く、制度全体への改革を果敢に実行してほしい。深く考えよう。

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2013年1月 9日 (水)

オリンピックの東京招致 = 不況感を追い払う

 2020年オリンピックの東京招致活動が公式に始まりました。思い出すのは昭和39年1964年の東京オリンピックのこと。青い空にブルーインパルスの五輪を仰いだこと、オリンピック施設を見て歩いたこと、アベベが目の前を通り過ぎたこと、青山通りが外国の街のように美しくなったことなど当時19歳の私にはワクワク・感動の連続でした。新幹線も開業し、その時を契機として日本は一皮むけて生まれ変わったと思います。
 個人でも社会でも国でも漫然としていては埒が明きません。どうしても平板になってしまいます。具体的な目標は個人も世の中も爆発的に勢いを増すエンジン。内向き・悲観的な考え方にオサラバする良いチャンスでもあります。「(お金は)福祉に使ったら」とか「復興に使ったら」とか「ピンとこない」とか寂しいことは言わないで!

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2012年4月25日 (水)

大手メディアの姿勢が危うい

 3.11原発/東電問題もさることながら、メディアとくに大手メディアの姿勢がおかしい。具体的には朝日・毎日・読売の各紙が原発/東電に甘く、偏っているように思う。
 これと対象的にNHKと東京新聞の報道はしっかりしていると思う。NHKでは「NHKスペシャル」「クローズアップ現代」などに、東京新聞では「こちら特報部」などが光っている。神奈川新聞も頑張っているらしい。

 大手三紙の報道姿勢に疑問が生じているのはなぜだろか。東電から莫大な合法的な資金(広告費・協賛金・研究費・接待費・・)が流れているという報道をよく耳にする。外部の影響を避けられない組織の弱さがあるのではないか。一例をあげれば
 http://ameblo.jp/kitanoyamajirou/entry-11182795664.html 
NHKや東京新聞などが東電とは一線を画しているのは当然とはいえ見上げたところだ。

 大手三紙には国民の多数の読者を抱えているだけに信頼に傷がついて良いものか。特に朝日は「反戦平和」を強く唱っているが、大丈夫か? 自己矛盾を感じていないか?
 ちなみに戦前の戦争への道は、いわゆる「軍国主義者」の横暴といっているが、私はそれも表層の表現と思っている。根本は組織の問題で、国の上層部におけるエリートの批判を許さない硬直姿勢が大失敗を引き起こしたのだと思う。今、大手新聞社でこの構造が生き残っていないか。
 コブシを振り上げ、平和を叫んで逃げていないか。遠回りでも自ら厳しく姿勢を正すことが安全弁であり、平和への近道ではないでしょうか?! 

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2012年3月 1日 (木)

東電・電力会社とJRの違い

 東電の社長発表があり「大口向け電力料金の17%値上げ」を申請した。「値上げは権利である」という社長発言のお上意識にみるまでもなく、公益を考えた謙虚さが感じられない。被災者への賠償の遅れ、メディアへの介入、さらには国政への歪みを生じさせる。ちなみにサハリンからのガスパイプライン敷設と安いガスの流入を妨害したと言われる。競合する発電会社の誕生を嫌ったと言われる。エネルギーの90%を中東に頼む日本の安全保障に役立ったはず。結果的に韓国にパイプライン計画は先行されてしまった。この会社は地域独占であり、豊富な資金力によって政治・経済・言論・学界を支配し、国益を毀損している。

 ここで対象的なのは旧国鉄から再生したJRの見事さだ。いまから40年余り前までは、お上意識と無謀なストや職場の退廃などひどい状態だったが見事に復活した。今、飛行機や民営鉄道会社などと厳しい競争にさらされているが経営者から社員まで緊張感がまるで違う。社員のサービス精神も見事だし、さらに世界への売り込みに頑張っている。
 電力会社と対象的なのは競合があるからだと思う。民間の場合、競合という緊張感がなければ社会貢献の意識が失われ、自己崩壊も自然の理だと思う。発送電分離をはじめとして、需要家が自由に電力会社を選べる仕組みにして再生してほしい。国鉄の場合、内部から「大改革をしなければ」という動き=エネルギーがあったが、電力会社にこういうエネルギーがあるかどうか・・・。

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2011年11月15日 (火)

鎌田 實さんの社会貢献活動

 医師で地域医療の活動をされている鎌田實さん。諏訪中央病院の名誉院長でもある。チェルノブイリの子供たちなど日本だけでなく世界中に飛び回って、弱者に手を伸ばしていられる。本当に休むときがあるのだろうかと思うくらいです。
 このかたを思うと比叡山の最澄さんのことば「自忘利他 (己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり) 」の実践を思い出す。

 その想いはブログで、ほぼ毎日発信されている。ときには厳しく、ときには優しく。
 ブログでは「鎌田實の一日一冊」や「原発事故(シリーズ)」が特におもしろい。常連になった。最近のものでは、
 http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/110-2f6b.html 
厳しい立場の方への思い遣りが込められている。
お体を大事にして頑張ってください! 

鎌田 實さんのオフィシャルウェブサイト http://www.kamataminoru.com/index.htm
公式ブログ「八ヶ岳山麓日記」 http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/ 

諏訪中央病院  http://www.suwachuo.jp/ 

追伸) 諏訪中央病院のホームページに市民参加の勉強会で「ほろ酔い勉強会」というのが、2ヶ月に一回定期的に行なわれている。2時から。この「ほろ酔い」というのが気になる。鎌田先生独特のユーモアだろうか?肩がこらない工夫をいろいろされているようだがわからない。
 ちなみにこの病院は茅野市にあります。茅野駅からバスで15分くらい。

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2011年7月29日 (金)

マスメディアよりミドルメディアが面白い

 マスコミの大手新聞やテレビの内容は皆同じでつまらない。特徴や主張はほとんど変わりない。無難なものばかり。
 中国高速鉄道の追突事故がらみの報道はサーチナ Serchinaの「各国のブログ」がおもしろい。下記のからサーフィンしてください。
 http://news.searchina.ne.jp/world_blog/ 

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2011年1月16日 (日)

おすすめテレビ<日本人はなぜ戦争へと向かったのか>1/16

 NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」 第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム http://www.nhk.or.jp/special/onair/110116.html 
 今日16日(日)NHK総合 21:00-21:50 です。

 明治時代の謙虚さと世界的な視野を軍隊という組織がどういう風にして失っていき、破綻したのか。その流れについて組織とヒトの面から語る番組のようです。

 戦後ずっと続いてきた日本の情緒的な平和主義観・世界観。厳しい現実世界にどう立ち向かったらよいか、を客観的に見つめるために参考となるシリーズのようです。それはさらに今の政治経済の混迷の根っ子と考えられる「ムラ社会」の解明にも役立つのではないかと期待しています。歴史の中に求めてみましょう。

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2011年1月 5日 (水)

変わる

Cimg2481_1変わらずにジットしている気楽さと
変えてキツイ ツライのおもいとは・・・・・
ひとつ窓でもあけましょか

これは私の年賀状の一部です。年の初めなので表現は控えめですが。
生活パターンやこころのオリを見直したい。じつはこれが非常に難しいです。素直な、自然体でいないとなかなかできない。防御して壁を作りがちですから。
解決するのは自分ですが、そのヒントはヒトとの会話にあると思っています。会話には素晴らしい刺激とエネルギーが実は溢れているから。
「変える・変わる」のこころはタカラものだと思います。
                        (写真は舞岡公園2010.12.5)

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2010年12月22日 (水)

「聴く」という能力

Cimg2540_1 「聴く」という能力に注目している。

 友人の落語家は高座ではもちろん話しは独占だが、飲み会・懇親の席になるとそれぞれの語りをとてもよく聴いていて話しをうまくまわしている。参加者はひとりひとりが盛り上がって楽しい。おみごと。

 対照的なのは、話しをむりやり独占して、自分のことばかりを話すヒト。司会役が言葉少ないヒトに話しをまわしても、しってかしらずか、すぐに話しを自分のほうに奪ってしまう。それも面白いならばマシだが、こういう手合いは概してつまらない。しらけてしまう。本人は自覚がないのだから始末がわるい。

 会議・議論にしても然り。自分の主張に終始して、相手を突き、ただ議論に勝とうとするばかり。相手の話を聴いて新たな展開・アイデアを生み出す努力が見えない。だから成果は出ない。かってはディベートの能力がもてはやされていたが、それを間違って解釈しているのかもしれない。その後「コミュニケーション」という言葉が流行っているが、意識は良しとしても、中途半端な風潮の感じがする。

 相手の話しを「聴く」というのは忍耐が必要で、けっこうつらい。また聴いていてあまり話していないかというとそうでない。意外と話している。相手と会話ができているから想いが相手に良く伝わっていることが多い。相手の言いたいことがわかり、さらには相手が気付かなかったことまでわかることさえある。相乗効果で思わぬ成果・たからものさえ見つけることがある。愉快である。明るい。第一お酒が旨い。しかしまあ、それでも自分のことばかり喋ってしまう。この愚かさは。

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2010年9月14日 (火)

自分の権力を自覚するところから

Cimg1663_1  検察の暴走に対して裁判所から厳しい歯止めがかかったという最近のニュース。信望があり、女性の官僚として輝いていたひとが危うく罪に落とされるところだった。
 気になるのは最近の国の超エリートがどれだけ自分の権力の大きさを認識しているかということだ。IQが高いだけで、失敗も挫折も知らず、皆からちやほやされて、あたかも自分が特別な存在であるかのような勘違いをしていないか。「権力」を国家国民のために常に謙虚に使えばよし、そうでなければ使われる方はたまったものじゃない。

 国のエリートに限らず、「権力者」は自分がその権力の差配者であることをいつの間にか忘れがち。もしくはもともと自覚していないのではないか。オット親父もそうか。アブナイ、アブナイ。

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