変わる
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「聴く」という能力に注目している。
友人の落語家は高座ではもちろん話しは独占だが、飲み会・懇親の席になるとそれぞれの語りをとてもよく聴いていて話しをうまくまわしている。参加者はひとりひとりが盛り上がって楽しい。おみごと。
対照的なのは、話しをむりやり独占して、自分のことばかりを話すヒト。司会役が言葉少ないヒトに話しをまわしても、しってかしらずか、すぐに話しを自分のほうに奪ってしまう。それも面白いならばマシだが、こういう手合いは概してつまらない。しらけてしまう。本人は自覚がないのだから始末がわるい。
会議・議論にしても然り。自分の主張に終始して、相手を突き、ただ議論に勝とうとするばかり。相手の話を聴いて新たな展開・アイデアを生み出す努力が見えない。だから成果は出ない。かってはディベートの能力がもてはやされていたが、それを間違って解釈しているのかもしれない。その後「コミュニケーション」という言葉が流行っているが、意識は良しとしても、中途半端な風潮の感じがする。
相手の話しを「聴く」というのは忍耐が必要で、けっこうつらい。また聴いていてあまり話していないかというとそうでない。意外と話している。相手と会話ができているから想いが相手に良く伝わっていることが多い。相手の言いたいことがわかり、さらには相手が気付かなかったことまでわかることさえある。相乗効果で思わぬ成果・たからものさえ見つけることがある。愉快である。明るい。第一お酒が旨い。しかしまあ、それでも自分のことばかり喋ってしまう。この愚かさは。
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日野原重明さん お誕生日おめでとございます。
お元気で、前向きで、明るくて、そしてなにより後輩達を育てようと一生懸命ですね。
勇気や元気をいただいています。気持ちが暖かくなるのです。ありがとうございます。
* * * * *
そういえば私の友人には70を越えて、体力も知力も行動力も実に若々しいヒトがいられる。お酒を飲んでも新鮮な話題、深い話題が尽きない。知らなければ40代と言っても疑わないだろう。この世にはすでに30代で老化してしまっている人が少なくないのに。
日野原さんも彼らも共通するのは、ご本人が意識しているかどうか知らないが、自分のためでなく、世のためひとのため動く、同時にそれを楽しんでいるというのが生き方の柱になっているかららしい。私の場合は、おいしいお酒をいつまでも飲んでいられるにはどうしたら良いかなどと低俗なことばかり考えている。エライ違いだ。学ばなければ・・・・・。
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「風に立つライオン」: アフリカの僻地医療に携わる医師、柴田紘一郎氏を、「風に立つライオン」になぞらえた さだまさしの作詞・作曲・歌の曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=TTYZn1EVWl0&feature=player_embedded
友人に誘われてなにげなく行ったさだまさしのライブ。その最後に歌われた曲です。ことばのひとつひとつに、こころから感動しました。
・・・
診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
・・・
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